1968年

  • スタミナ苑 創立
  • 豊島久博(現社長)と母親の手によって、東京都足立区鹿浜に誕生。元々肉屋が本業だったが親戚の「これからの時代は焼肉屋」という声により創業された。肉屋であった父親の背中を見て、肉の切り方や目利きといったすべての知識を独学で身に付けた。創業から57年以上も変わらぬ場所、変わらぬ建物で営業している。

1973年

  • 豊島 雅信 入社
  • 豊島久博の弟である豊島雅信(通称マコさん)が調理師として15歳で入社。元々は神戸のステーキ屋に就職するために面接を受けたが、右手を理由に落とされる。しかし、誰にも負けない反骨精神でメキメキと頭角を現していく。できないことを諦めるのではなく、「どうしたらできるのか」を考え試行錯誤を重ねる姿は、従業員とお客さんの両方から強く支持されている。ホルモンを一般に普及させたのは雅信氏の貢献が大きい。

1987年

  • 口コミが広がり始める
  • 質の良い肉、こだわった仕込みがお客さんから広く愛されるようになり、「抜群に美味い焼肉屋がある」という口コミが広がっていく。それに伴い来客数が日に日に増えていき、次第に行列ができる。宣伝や広告などは一切せず、売上を伸ばした方法は口コミの一本のみだったため、味と人柄が純粋に評価された結果だといえるだろう。次第に芸能人なども店を訪れるようになり、瞬く間に全国区の名店へとのし上がっていった。

1988年

  • 木戸 英司 入社
  • 松山から単身上京してきた木戸 英司がスタミナ苑に入社。当初は屠畜場で働く傍ら、空いた時間を有効活用するために副業アルバイトとして仕事を始める。多感な年頃だったため、夜1時近くまで働いてから遊びに行くほどのヤンチャぶりだったとか。正社員として働き始めたのは23歳頃で、兼業をやめて仕事を一つだけに絞った理由は「体力的にきつかったから」。英司氏の家族のような接客に魅了されるファンが多い。

1995年

  • 伊藤 健生 入社
  • 高校生だった伊藤健生がスタミナ苑に入社。人見知りとヤンチャな性格、そして仕事を覚えなければいけない責任感から、当初常連客からは「無愛想な接客」と言われることもしばしばあった。だが、持ち前の真面目さと一途な姿勢で、みるみると一人前へと成長を遂げ、お客さんから愛される人気者へ。入社から現在にいたるまで、スタミナ苑一筋で働き続け信頼も厚い。 日本酒のプロ唎酒師、焼酎ソムリエであるためお酒の仕入れも担当している。

1999年

  • 「ザガットサーベイ」の日本版で総合1位を獲得。
  • アメリカを中心に世界88都市で選出された格付けレストランガイドブック「ザガットサーベイ」は、一般利用者の評価がまとまった1冊。料理・内装・サービスの3項目をそれぞれ30店満点の総合ランキング形式となっている。その日本版で総合26点という高い評価を受け、見事初代1位を獲得し店舗人気に拍車をかけた。しかも『焼肉部門』ではなく、ジャンル問わずでの1位というのだから驚きだ。

2000年

  • 総理大臣 来店
  • 当時の総理大臣である小渕恵三氏がスタミナ苑に来店。お客さんが握手を求めたり、浮足立つ中、スタミナ苑は特別な対応はせず、他のお客さんと同じように外で順番待ちをしてもらったという。また小渕氏とはプライベートでの親交もあり、同氏が亡くなったときは焼肉弁当を作り、自宅まで直接渡しに行った。飲食店としてだけでなく、一人の人間としてお客さんと向き合うプロ意識が強く見える出来事だった。

2001年

  • 狂牛病の流行
  • 牛の神経系に感染する進行性の病気である「狂牛病」が日本国内で流行。人間に感染したときに発症する症状の危険性が高いことから、牛の特定部位(頭部や脊髄)の流通が国内で規制された。その影響はスタミナ苑にとってもかなり大打撃となり、以前から人気メニューの一角を担っていた煮込みに使用していた牛の一部が使用できなくなってしまった。

2012年

  • 生食レバー規制
  • 食品衛生法という法律によって、牛の生レバーを食べることが禁止された。スタミナ苑でも古くから愛されていた看板メニューの一つである生レバーの提供が出来なくなったが、丁寧な下処理と肉自体の質の良さから、焼いても絶品であることに気付くお客さんが続出。人気が落ちるどころか、さらに反響を呼ぶ結果となった。ちなみにマコさんいわく、「レバーは生で食うより、焼いたほうが甘みが出て美味い」とのこと。

2013年

  • 豊島 悠樹 入社
  • マコさんの息子である、豊島悠樹が入社。大学を卒業した後、就職先を探していたときに、お店に人が足りないとのことで入社を決意。口数は多くないが、一つ一つの仕事が丁寧で、決して手を抜かない職人らしい姿がお店から強く信頼され主戦力の一人となる。マコさんとは違い、表には一切姿を出さないが、入社から現在にいたるまで長きに渡ってスタミナ苑を支え続けている。お店でみかけたら気軽に「悠樹さん!」と声をかけると喜ぶかも…?

2018年

  • 「The Tabelog Award 2018 Gold」受賞
  • 飲食店の口コミや評価を共有する国内トップの利用率を誇るグルメサイト「食べログ」で行われた【The Tabelog Award】で、全国から集まった強豪がひしめき合う中で、たった33店舗しか選ばれない‘‘Gold(遠くから足を運んででも生涯通い続けたいお店)‘‘を見事受賞。
    他は高級料理店ばかりランクインしている中で、最も客単価が安いお店であったことから、かなりの注目を集めた。その後2017~2023年の7年間連続で【The Tabelog Award】を受賞するという偉業を成し遂げている。

2018年

  • 書籍「行列日本一 スタミナ苑の繁盛哲学」が出版
  • 豊島雅信氏が執筆した書籍が出版される。常連客を始めとして、全国の多くの方に読まれ、スタミナ苑の存在を広く認知される火種となった。ファンだけではなく、多くの料理人や職人からも支持される一冊。単行本も電子書籍もあるのでぜひ読んでほしい。

2021年

  • コロナ禍により、来客数が激減
  • 新型コロナウイルスが世界中で感染を拡大させ、その影響は日本にも及んだ。多くの飲食店が営業休止を余儀なくされていた傍ら、スタミナ苑だけは「こんなときだからこそ、お客さんに美味しいお肉を食べてもらおう」と意気込みサービスを続けた。客足が途絶える中、常連に片っ端から電話をかけたという。その成果もあって、無事コロナ禍を乗り越えることに成功。飲食店としての枠を超えた圧倒的なホスピタリティが垣間見えた出来事だった。

2022年

  • NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」が放送
  • NHKが主催する大人気テレビ企画「プロフェッショナル 仕事の流儀」にて、スタミナ苑が取り上げられ、日本国内にとどまらず、世界中に広く認知されるきっかけとなる。店の看板であるマコさんの職人としてのこだわりや、予約は絶対に取らないという一貫したスタイルが高い評価を受け、次の日から客足が一気に増え、ファンレターやプレゼントなどが次々と届くようになり、海外からインタビューの依頼なども来るようになった。

2023年

  • 食べログ評価4.3を記録
  • 国内トップの使用率であるグルメサイト食べログでは、お客さんがお店の評価を5段階で格付けする。約90万件もの店舗が登録されているが、そのうちの約97%が評価3.5未満。それに対してスタミナ苑はなんと【評価4.3】という、驚異的な数値を記録。「ホルモンは勿論のことサイドのサラダやスープも絶品」など、高評価のコメントが今でも止まらない。

2023年

  • 公式HPリニューアル
  • スタミナ苑をこよなく愛する、WEBプロモーション関連の全制作を手掛けるベンチャー企業、株式会社MouthEarKingが「味だけではなく、ここで働く方の"心の温かさ"や"格好良さ"も世界中に知ってもらえるHPを作成したい。」と健生さんとマコさんに打診する。しかし、長きに渡りHPを支えてきた会社があったので当初は断られていたが、【アキラメナイ強い思い】を伝え続けた結果、なんと正式に制作依頼をいただけることになった。前任者からバトンタッチを受けて、9月に公式HPを一新。WEBの力を使い、さらにスタミナ苑の魅力を全世界に伝えるため現在も奮闘中。